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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)7939号 判決

原告 株式会社 小山書店

被告 国 外一名

代理人 河津圭一 外一名

主文

原告に対し、被告国は金一三万七、一六〇円、被告東京都は金一二万七、四四〇円及びこれに対する昭和三七年一〇月一八日以降支払い済みに至るまでそれぞれ年五分の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

本判決は、第一項に限り、原告において金五万円(各被告につき、それぞれ金二万五、〇〇〇円ずつ)の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事  実(省略)

理由

被告国の公務員である東京地方検察庁係官が、原告所有のD・Hロレンス作、伊藤整訳「チヤタレイ夫人の恋人」(甲第一号証の一、二)の下巻分紙型を、被告東京都の公務員である警視庁係官が同書上巻分紙型を、原告代表者小山久二郎及び訳者伊藤整にかかる猥せつ物販売罪につき領置、保管中、それぞれ過失によつて喪失し、原告に対する返還が不能となつたことは、各当事者間に争いがない。

まず右各紙型が返還不能となつた時期について各当事者間に争いがあるので、これを判断するに、原告代表者本人尋問の結果によれば、原告に対し右各紙型の返還不能が正式に書面により通知されたのは東京地方検察庁については昭和三七年七月二七日、警視庁については同年九月一八日であることが認められ、右認定に反する証拠はないから、各紙型が返還不能となつたのは、東京地方検察庁については昭和三七年七月二七日、警視庁について同年九月一八日と認めるのが相当である。もつとも証人大串盛光の小証言によれば、東京地方検察庁において、昭和三五年四月頃前記山らに対する刑事事件関係の領置物件を各倉庫について調査した際、同庁において保管する前記下巻分紙型を見出すことができなかつたことを認めることができる代表者本人尋問の結果によれば、原告は、前記刑事事件が確定した昭和三二年三月から間もなくして、右紙型等の還付を求め、爾来引き続きこの要求を繰り返していたのに、東京地方検察庁及び警視庁が正式に返還不能を通知してきたのは、前記日時が初めてであつたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、右日時までは、なお東京地方検察庁及び警視庁において返還の可能性を認めていたものといわねばならず、右日時に至り返還不能が確定したと解すべきである。

次に、右返還不能による原告の損害額を判断することとし、まず返還不能となつた昭和三七年当時において各紙型を作成する場合の価格(他に特段の事情の主張、立証のない本件においては、製作価格をもつて、紙型の市場価格と認むるを相当とする。)を検討する。

証人押田統助の証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、紙型の価格は、活字を拾い、出版者の指定する版面に組む組版料紙型そのものの製作費及び校正、割付け指定等の編集費より構成されるところ、昭和三七年当時組版料は一字当たり金五〇銭(正確に字数に対応するものではなく、実際には空白部分があつても指定の行数、字数によつて一頁が全部埋められたものとして、一頁当たりの字数を算出し、これに右単価を乗じて、一頁当たりの組版料を計算する例となつている。)であるが、二段組みの場合には右基本金額の一割の割増料金となり、また旧仮名、当用漢字外の漢字が使用されている場合には、右基本金額の二割の割増料金となること、紙型の製作費は、B6判一頁当たり金五〇円であること、編集費は金三五円二〇円を相当とすること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。これにより、前記チヤタレイ夫人の恋人」の上下巻の紙型を昭和三七年当時作成するものとして、その価格を算定すると、成立に争いのない甲第一号証の一、二によれば、同書はB6判で、二段組みであり、旧仮名、当用漢字外の漢字が使用され、一頁当たりの字数は、二二字三六行で七九二字であり、上巻が二三六頁、下巻が二五四頁であるから、次の算式により、上巻分紙型は金一四万一、六〇〇円、下巻分紙型は金一五二、四〇〇円となる。

上巻分{50銭×(1+0.1+0.2)×792字+50円+35円20銭}×236頁=141,600円

下巻分{50銭×(1+0.1+0.2)×792字+50円+35円20銭}×254頁=152,400円

被告らは、問題の紙型は、物質的、経済的価値を有しないと主張する。被告らがその理由とする、問題の紙型が長期保存により劣化し、今日の印刷上の要請に適合しないとの点については、証人押田統助の証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、紙型は、湿気のないところに保存すれば、特別の注意を払わなくても一五年ないし二〇年は使用に堪えるものであつて、昭和二五年当時の紙型を利用して現在の印刷機械にかけて印刷することができ問題の紙型は、当初より大量の発行部数が予定されていたため、一度とつた鉛板をメツキして原版を保存していた関係上、ほとんどいたんでいなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、問題の紙型が昭和二五年に作成されたというだけで、現在価値を有しないということはできない。

次に、被告らは、ロレンス作「チヤタレイ夫人の恋人」については、現在多数の類書が発行されており、原告も昭和三二年本書と同じく伊藤整訳により新版を出版しており、本書が旧仮名、旧漢字を使用していることよりすれば、本書を刑事判決で猥せつ文書と認定するに当たり指摘された一二ヵ所を訂正して出版しても相当の需要を集めることはできず、問題の紙型は、経済的価値を有しないと主張する。

成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第二号証並びに証人伊藤整の証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、原告が昭和三二年に出版した伊藤整訳による新版の「チヤタレイ夫人の恋人」は、イギリスのセツカー書店のオーソライズド・ブリテイツシユ・エデイシヨンによるもので、原告が昭和二五年出版した問題の紙型によるものは、パリのオデイツセイ・プレス版によるものであるところ、右オデイツセイ・プレス版はロレンスの原著であるが、セツカー版はロレンスの妻フリーダが出版者の要望に応えて、ロレンスの死後原告の中、性描写の露骨な部分を削除したものであること、フリーダによつて削除された部分は、多くは原告らに対する刑事事件において問題とされた部分と重なり合うが、必らずしも、これと一致するものではないこと(例えば、昭和二五年に出版された「チヤタレイ夫人の恋人」すなわち甲第一号証の二の九四頁上段一一行より九五頁上段一三行まで、同一一〇頁下段九行より一一一頁上段一三行まで、同一三四頁上段一五行より一三七頁上段一七行等は、刑事事件で指摘された一二ヵ所に入らないのに、昭和三二年に出版された「チヤタレイ夫人の恋人」すなわち甲第二号証には、その部分の記述はない。)、刑事事件で指摘された一二ヵ所も、その指摘にかかる部分全体が猥せつというのではなく、その指摘された部分の一部が猥せつに当たると解されること(例えば、刑事事件で指摘された甲第一号証の二、二一〇頁下段一八行より二一二頁下段九行目のうち、甲第二号証では、このうち四行分しか削除されていないのに、甲第二号証が問題とされていないこと等よりしてうかがわれる。同様の事例は多い。)訳者伊藤整は、セツカー版がフリーダの意見により原著を改訂したものであることに鑑み、伊藤自身の見解によつて、オデイツセイ・プレス版を猥せつ文書にならないように改訂する意思があり原告もそれによつて出版する意思のあること、その際問題の紙型があれば、これを利用できること、しかも、問題の紙型によつて出版すれば、これが刑事事件を起した関係もあつて、十分の採算の見込があること、旧仮名、当用漢字外の漢字の使用は、文芸書にとつて需要を妨げるものではないこと、以上の事実が認められ右認定を覆すに足る証拠はない。これによれば、問題の紙型が、被告ら主張のような事実により、経済的価値を有しないものではないことは明らかである。

しかしながら、問題の紙型が、昭和二五年当時作成されたもので、印刷のため使用に供されたことがあること、また、問題の紙型をそのまま使用することは、猥せつ文書販売罪との関係で不可能で、これにある程度の改訂、削除を必要とすることは、前認定の事実関係に照らし明らかであるから、紙型が長期間保存・使用が可能で、これを利用して出版が可能であることを考慮しても、なおこれが返還不能となつたことによる原告の損害は、返還不能となつた昭和三七年当時問題の紙型を作成するために要する前認定の費用より一割を減じた額、すなわち上巻分紙型については、金一二万七、四四〇円、下巻分については、金一三万七、一六〇円をもつて相当と認むべきである。

よつて、国家賠償法第一条に基づく原告の本訴請求は、被告国に対し、下巻分紙型の返還不能による損害金一三万七、一六〇円被告東京都に対し、上巻分紙型の返還不能による損害金一二万七四四〇円とこれに対する返還不能の日の後であること明らかな昭和三七年一〇月一八日以降支払い済みに至るまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の原告の請求を棄却し、訴訟費用については、民事訴訟法第九二条但書、第九三条により全部被告らの負担とし、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顕)

被告国の主張(省略)

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